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ヘンリー・フィッツロイ (初代グラフトン公爵) : ミニ英和和英辞書
ヘンリー・フィッツロイ (初代グラフトン公爵)[こうしゃく]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)
: [はつ]
  1. (n,adj-no,n-suf) first 2. new 
初代 : [しょだい]
 【名詞】 1. first generation 2. founder 
: [よ, しろ]
 【名詞】 1. world 2. society 3. age 4. generation 
ラフ : [らふ]
  1. (adj,n) rough 2. (adj,n) rough
: [こう]
  1. (n,suf) prince 2. lord 3. duke 4. public 5. daimyo 6. companion 7. subordinate
公爵 : [こうしゃく]
 【名詞】 1. prince 2. duke 

ヘンリー・フィッツロイ (初代グラフトン公爵) ( リダイレクト:ヘンリー・フィッツロイ (初代グラフトン公) ) : ウィキペディア日本語版
ヘンリー・フィッツロイ (初代グラフトン公)[こうしゃく]

初代グラフトン公ヘンリー・フィッツロイ(, 、1663年9月28日 - 1690年10月9日)は、イングランドの貴族・軍人。
イングランド王チャールズ2世と愛人バーバラ・パーマーとの間に生まれた私生児1672年ユーストン伯爵1675年グラフトン公に叙された。
グラフトン公爵フィッツロイ家の祖である。
== 経歴 ==
1663年9月28日チャールズ2世とその愛人バーバラ・ヴィリアーズ(後の初代クリーヴランド女公爵バーバラ・パーマー。第2代ウィリアム・ヴィリアーズの娘)の間の3人の非嫡出男子の次男として生まれる。同母兄に初代サウサンプトン公爵・第2代クリーヴランド公爵、同母弟に初代ノーサンバーランド公爵ジョージ・フィッツロイがある。
ただしヘンリーには母の愛人の子ではないかという疑惑がある。チャールズ2世も当初それを疑って認知を渋ったが、バーバラが強く抗議したため、結局認知されたという経緯があった。
1672年8月1日にチャールズ2世の側近の初代ヘンリー・ベネットの1人娘と結婚した〔〔〔。
母バーバラは、ルイーズ・ケルアイユ(初代リッチモンド公爵チャールズ・レノックスの母)らチャールズ2世の他の愛人たちにライバル意識を燃やしており、自分の3人の息子に爵位を確保しようと必死に宮廷工作を行った。その結果、ヘンリーには1672年8月16日に弟ジョージ(ノーサンバーランド公)への特別継承権を認めたイングランド貴族爵位ユーストン伯爵(Earl of Euston)、イプスウィッチ子爵(Viscount Ipswich)、サドバリー男爵(Baron Sudbury)が与えられた〔。さらに1675年9月11日にはグラフトン公爵に叙せられた〔〔。
1680年ガーター勲章を受勲した〔。1681年から1688年にかけてと1688年から1689年にかけて第1近衛歩兵連隊連隊長(Colonel)を務めた〔。また1682年から1683年にかけてトリニティ・ハウス長官(master of the Trinity House)を務めた〔。1682年カンバーランド公ルパートが死去すると代わってに就任し、1689年まで務めた〔〔。
1685年4月23日のジェームズ2世の戴冠式で大司馬を務めた〔〔。同年6月にはモンマスの反乱鎮圧に参加〔〔。同年7月28日に岳父アーリントン伯が死去し、妻が第2代アーリントン女伯爵位と財産を継承した。同年11月9日から貴族院議員となった〔。また同年から1689年までを務めた〔。
ジョン・チャーチル(後のマールバラ公)と行動を共にするようになり、1688年名誉革命ではチャーチルと共にジェームズ2世の軍から脱走してウィリアム3世に寝返った。1690年にもチャーチルにしたがって南アイルランド遠征(ウィリアマイト戦争)に参加したが、で重傷を負い、10月9日に戦死した〔。
イザベラとの間の1人息子がグラフトン公位を継承した。彼は後にイザベラからアーリントン伯位も継承している。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「ヘンリー・フィッツロイ (初代グラフトン公)」の詳細全文を読む

英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Henry FitzRoy, 1st Duke of Grafton 」があります。




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